「願い」は叶う。願望実現に必要なことはただひとつ、〇〇〇〇ることだった。
こんにちは。
今日のテーマは「願望実現」ときました。
なんとも雑記ブログ然といきなりなってしまいましたが(もともとは美容サービスのホームページとして取得したドメインだったし、そういうデザインで8割くらいは出来上がってました)・・・
とはいえ、やっぱり自分のお得意どころを、あれこれ細かいことを気にせずにつづっていくのは全くストレスがないんだなあ、と改めておもいます。
と本題とは全く関係のない冒頭ですが(笑)
昨日、今日と起こった出来事ですごく確信を得たことがあったので書こうと思います。
⬛️それは突然に起こった
実はわたくしパートナーとは交際0日婚というやつをしていまして。ここでもどういうことだったのか、書いてます。
ほぼどんなひとかよくわからないうちに「家族」という単位になり、同居をはじめてすぐに出産〜育児生活、という怒涛の流れでしたので、冷静で他人ゴトなら簡単に予測できると想いますが
まあ、噛み合わないwww 理解できないwww
なんなのキミは????
というイライラ通り越して宇宙人との生活みたいなのに(外国で価値観が合わない相手との暮らしをすると想定していただければわかりやすいかも・・・)日々モーレツにエネルギーを消耗していたんですね(笑・・・って当時ほんとに笑えなかった・・・、なんなら笑えるタイミングも今でも衝突の波が去ってからです)
おかげさまでパートナーシップの真髄とか家族との関係性の本来のニュートラルな基準とかを本当に、良い意味で覆し続けてくれてそれを変えることができたんですけどね。
※このテーマについてはまた別カテゴリーで書いていきます。
なんだかんだで別れずに一緒に過ごしてかれこれ5年になりますので、相手のいろんな変化も見てこれたし、関係性も少しずつ変わってきて。
叶うことは無理ゲーだろう・・・と完全に想定外だった関係性にもなんか近づいてる???というところまできていて穏やかに過ごしていたんですよ。
が。
先日ちょっとしたことで衝突というか、話し合いがはじまり。
パートナーは「表現」することがとっても苦手。
「話し合い」になるといつも「理解できない・・・・!!!」ってだんだん怒りモードになってきてブチギレ・・
燃え盛って怒り狂って暴言吐き出し・・・こちらは理解できるよう解説に解説を重ね、さらにそれが怒りに火をつけ・・・
という状況になったのですよね。
↑
この状況、最初はDVの傾向だ・・と真剣に恐怖でした。てか言ってみればDVの部類のひとつです。
でもいまではこれ、鎮火スピードが以前は数日かかったものが数十分でおわるようになりました。
こっちのテーマについてはまたあらためて。
これすなわち。
そういう状況になったらもう完全に別居〜離婚しましょう、というパターンの結構オモイやつです。
これが起こると
心底から本音を出し合うっていうことが、
自分が本当に思っているということが、
肝心なときにできなくなってしまっていて。
わたしとしては
それじゃ仮面夫婦だよね、一緒にいても衰退していくやるだよね
とどうやっても願えない結果をきたすと感じてきたことだから。
でもそんなのも最近では解消してきていたんです。
なぜなら「もうそれについてエネルギーを費やすのを一切やめる」と決めたし、ちゃんとそれを貫いてきたから。
でもふとしたきっかけでまた衝突が起こってしまったのですよね。
⬛️うち夫婦の「理想」はこうして叶ってきた
結論から言うと、この”衝突”の決着は「さらに本音を出し合える関係性にまた一歩近づいた」という結果になりました。
???タイトルにあるような”願望実現”のイメージとは違うけど?
そう思うかもしれませんが、”願望”は実はこっちのハナシではありません。伏線です。(読み進んでもらえればわかります)
結婚前は、ありました、よ。
セレブ婚とか、ハイソな戸建に3人くらいシッターさんに手伝ってもらいながらの余裕でたのしい子育て生活、とか。
いっつもラブラブで尊敬しあっていて会話の絶えない夫婦関係♡とか。
セックスレスとか関係な〜い!みたいな恋人みたいな関係性♡とか。
でもそういうステレオタイプな理想像は、結婚当初、いや、なんなら結婚は決まっていたけどもっと前お互い行き来してる頃からすでにガタガタと崩れる音は聞こえていました(笑)
が、です。
今うち夫婦は「理想」にどんどん近づいてるのです。
それはいろんな期待を現実の中でことごとく打ち砕かれ、裏切られて(勝手な”受け取り方”なんですが)そのたびに
その”期待”を「あきらめ」てきたからなんです。
⬛️なぜ「あきらめる」ことが”叶う”最大の要因になる?
この「あきらめる」ってご想像のとおり”諦める”の方の「あきらめ」です。
断念する、降参する、といった意味合いの。あれです。負ける、みたいな意味合いも含んでるひともいるかも。
なぜこの「あきらめる」ことが願望を叶えることの最大要因になるのか。
実は、この「あきらめる」っ仏の道では「明らめる=明らかに認める」という言葉と完全に同義語なのです。
どういうことかというと。
断念→強い執着を断つ
降参する→Hands UP. 自分の手練手管や入れ知恵を放棄する、受け入れる
こんな言葉の意味合いを実際にする、ということです。
要は願いを叶えたいときって「今がいやだからこうありたい!こうしたい!」という願いであることが多いと思うんですが、
そこには
今への否定や不平不満、と、仮定した特定の未来(結果)への執着
の異質な要素がふたつ、含まれてます。
もっというと
今から逃げたい願望、と、仮定した未来以外への否定
も含まれていたりします。
この場合「逃げたい」と「現時点の”安心”になんとしても事態を変え”たい”」が叶います。
しかも根底の”願望”を見出してそこを変えない限り、それが無限ループで。
何かを叶えたいときって、どうしても「道」や「手段」に意識を集中させ「頑張ろう」としてしまいがちですが、ほんとうはそこじゃなく。
その「願い」は本当に真の”現時点”での”心の底からの願い”なのか。
こっちを見て、都度つどきちんと”本音”を自分の中から引き出して「今」のベストを選択し続けていかないとならないのですが
道や手段に集中しエネルギーを費やしても、結果に執着してなんとしても手に入れようとがんばっても、絶対に「本当に自分が願っていること」は叶わないのです。
それが「あきらめる」という深い手放しをすることではじめて、やっと”本音”に目を向ける余白ができるからなんです。
だからうちはふたりならではの「理想」を、その都度その都度積み重ねてきて、やっと元来もっていた”理想”にまで気がついたら近づいていたのでした。
ステレオタイプではないですが「しあわせ」と感じる自分(パートナーの方も)のポイントはしっかりおさえて。
⬛️別件でまさかの現実展開も!
実はこの同じタイミングで、個人的にかなりイタイ凡ミス(いや、ほんとは凡ではないです…)で、結構な額の入金がもしかしてゼロになるかもしれない・・・という可能性をつくってしまった。。。というハプニングがありました。
穏やかに生活していたいのにそのの中でエネルギー消耗することも勃発し、さらに神経をすり減らすアクシデント(しかも自発的に…)が起こり・・・
ショックもエネルギー消費もかなりのレベルまでいきました(汗)
が。
もちろんここまで長々書いてきたことをここでも適用しよう、と。
もう少し具体的に言うと、私の側のミスでギャラを違う口座に入金させてしまった(!)というとんでもないことをやってしまったんですが(本当にご迷惑をおかけしてしまった・・・涙涙涙)
もう、でも、起こってしまったことはわたしがどう心を揉んだってどうしようもない。
なので、
- 先方の信頼を失う、嫌われる(相当のご信頼をいただいていた長いおつきあいのある方だけど)を受け入れる、あきらめる
- 組戻し(誤振込あとの振込取り消し〜返金のことを言います)が行われない可能性に責任をとることも受け入れる、あきらめる
※誤振込の先方が拒否することもできる=返金されないこともある、のです。 - 責任を取り、追支払いの必要がないよう、ギャラがチャラになる可能性を受け入れる、あきらめる)
をぐるぐるモヤモヤした末に「受け入れ」「あきらめ」るところまで着地させました。
そしたらなんと・・・・
夜間に実行した振込が、翌朝の営業時間開始の時点ではまだ(完全には)「実行されていなかった」と。。。。
土日であっても即時入金がスタンダードになりつつあるこのご時世でまさか・・・!と思いましたし、先方としても確かに手続き自体は完了していたのは確認済みだったそうなのですが・・・
なんらかの要因が重なったのか、結果としては組戻し自体はスムーズに、最短スピードで行われることとなったとご報告いただきました。
これにはかなり驚きました。が、「願い」はきちんと叶えられた、と妙に納得もできました。
「願い」とは。
もちろん無事にことがおさまること、ですが、そうでなかった場合の双極の結果についても「受け入れ、あきらめ」たこと、で「双極の(できればそうなりたくないと感じるような)結果」についての”執着”はなくなり、結果、
どうあったって自分は大丈夫だし、それによってしあわせも安全も奪われるものではない
むしろそのステージを改革する刺激をもらえた!
ということで両方の結果にマルが出せたんですね。
だからどちらの結果であっても「しあわせ」だった。
その上でのこの結果に、まさか!とは思いましたが、世界っていうのは毛嫌いしなければとことん優しいところだなあ、と再認識しました。
タイトルから読み込んでくださっている方には、いまいち支離滅裂かもしれませんしまとまってないと感じられるかもしれません。(書いているうちにまとめやオチが着地どころ決め切れませんでした・・・汗)
こういうテーマは数えきれない深層の記憶や感情の大群をひとつひとつほどいていくということを実際にしていかないと、文章だけではどうにも捉えきれない奥ゆきが深すぎるテーマなので・・・。
が、自分の中で衝撃も大きかったことなので書きました。
でも「願い」のことと、「叶う」っていうことの意味と、「あきらめる」ことの真意については少しは何かを喚起してもらえる内容になったかと・・・。
このテーマはいくらでもネタがある(笑)のでまた書きます。
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